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銚子犬若岬から富士を遠測し測量技術に自信を持つ

 享和元年七月二六日、銚子滞在九日目に、
「同二十六日、晴天。此早朝、日出に犬若岬において慶助、富士山を測。着後十九日より富士山の方位を測らんと日々手分けし、高きに昇り遠へ出しけれど、日々蒙気おおくして見えざりき、此朝富士山を測得たり。そのよろこび知るべし。予が病気も最早全快に及べり。此日奥州小名浜迄先触出す。」とある。




 房総半島の測量に伊能隊は37泊を費やしたが、連泊したのは洲崎の4泊と銚子の9泊だけで、その理由がこの文章に出ている。
 第二次測量では品川から三浦半島、相模湾、伊豆半島を一周して東海道を通って一度江戸にもどり、次に、房総半島を一周して銚子まで来ていた。第一次測量の反省から新しい作業要領を定め、間縄を張り、近傍、遠方の目標物を利用した方位測量を加えたりしてデータ確認を徹底していった。そこで地図上に描かれたこれら複雑な地形の測量精度を確認するため、銚子から富士山を遠望したかったらしい。結果は満足できる誤差たったようで、喜色が文面にあふれている。

犬若岬の観測地点は伊能大図を参考に推定できる。地元の方の意見では、伊能隊が観測した時期(9月上旬)にはなかなか富士は見通せないという。犬若という地名は今もあるが、犬若岬とは呼ばれていない。また、伊能隊が測量術に自信を持つことになった因縁の場所とも知られていなかった。そこで、2013年11月17日、記念碑が建設された。




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