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念仏坂(様似郡様似町)

 念仏坂は1次の5図と、測量日記だけに登場する。日記では非常に苦労したことが記載されている。忠敬は日記では極力感情を抑えて記しているが、念仏坂のあるシヤマニ(様似)からホロイヅミ(幌泉)間は、泣き言が書かれ、迎えの者に合流し「地獄に仏ともいうべし」を記している。
 また「此上汐干といえど通るべからず。併し新開山道も行路難のよし」とあり、帰路は新開山道をとっており、最終図でも忠敬の注意にしたがって、行路難しと言えど新開山道を選んだようだ。

 現在は日高耶馬渓と呼ばれ観光ポイントにもなっており、忠敬が通過してから200年のこのルートの歴史を紹介している「日高耶馬渓の200年」も参照されたい。

測量日記

 寛政12年7月2日(1800年8月19日)の測量日記の当該部分と帰路 8月23日の解読文

 同ニ日、薄曇、夜も同じ、朝五ッ頃砂馬仁出立。海岸砂小石交り、又は大石を積に似たる道にて行路難し。又海岸に高くそびえたる大岩を上下する所あり、甚危し、又汐間を見て走る所あり。案内の蝦夷人を連けれど折ふし潮満て渡ること難く、或いは汐にぬれて三・四町も立帰る。念仏坂といえる蝦夷人のみ往来する険阻なる山越をなりポロマンベツといいる川へ出、念仏坂の下より海岸を通れば道路大いに近し、川を越て休息所あり。十四・五町行てオトロシヤンナという所にて中食。それより海辺、又は新道ニ里三十町余、内一里余。夜に入り五ッ頃ホロイツミに着。御詰合支配勘定佐藤茂兵衛殿、会所支配人へ被迎合半町程御用提灯にて迎に人夫を被遣候、終日難所、ぞうりもことごとく切れ破れ素足になり甚困窮の所迎提灯にあいしば、俗語にいいる、「地獄に仏ともいうべし」里数七里といえど八里余もあるべし。此上汐干といえど通るべからず。併し新開山道も行路難のよし、仮宿に止宿。夜五ッ着。
 同二十二日、朝曇天、それよの中晴。夜曇天。朝六ツ半サルル出立。アツヒ中食、道法六里二十七町、七ッ半ホロイツに着。仮家に止宿。
 同二十三日、朝曇天、至暮微雨あり。朝六ツ半出立。海岸三里ホロマンベツにて中食。それより新開山道難所三里半、此間大小の峰を越六・七度、それより海辺へ出て半里程歩して暮六ツ前、道法七里シヤマニ着。夜は雨。
 同二十四日、朝より曇、九ッ頃より晴、又曇る。夜も四ッ頃迄薄曇り。夜深晴、測量。

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