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人物DBご連絡一覧

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61 3次測量 栃木県下野市石橋宿本陣 伊沢郡蔵の子孫を知っています。2016年4月2日

当時の記録や何らの資料を持ってはいませんが、栃木県下野市石橋に在った石橋宿の跡継ぎの方が、縁戚にに居ります(高崎市在住)。
私は代々続いた名前を付けられた伊澤郡藏です。
高崎在住の伊澤敏雄さんの系統とは私の曾祖父の代に< …
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【伊能忠敬e史料館】情報提供ありがとうございます。
第3次測量、6月15日、宿舎の提供を受けました。
石橋宿の本陣の伊沢郡蔵さんですね!
代々続いた名前を付けて居られることに脱帽致します。
現代にも通用する名前が当時でも使われて居ったのですねぇ~!

60 日蝕観測に挑戦した能代で日々接待した庄屋相沢金十郎の子孫になります。2016年3月30日

日蝕観測に挑戦した能代で日々接待した庄屋相沢金十郎の子孫になります。三厩からの帰路の際は宿舎として厚遇させていただきました。それから6年後の文化5年、金十郎の養子文五郎治信が江戸で勉強したいと言い出しました。金十郎はさっそく旧知の伊能忠敬宛 …
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【伊能忠敬e史料館】彗星略説などのコピ-をお預かりしています。
 能代では伊能隊は11泊して日蝕観測に挑戦しましたが結果は天候にはばまれて成功とはいえませんでした。この間、庄屋相沢金十郎さんは、同役三島嘉右門さんと宿老の村井文右衛門、町役人与四郎などを指揮して接遇にあたられました。町の長さ19町、家数千軒といいますから大きな町だったのですね。宿は能登屋半六でした。6年後の文化5年8月に、金十郎の養子文五郎治信が江戸に勉強に出たという話は全くしりませんでした。忠敬の行動を身近にみて、触発されるところがあったのでしょう

59 針尾村止宿先の楠本丈助(山目付)より五代目に当たります。2016年3月26日

8次(九州第2次)測量 文化9年12月11日~16日針尾村止宿先の楠本丈助(山目付)より五代目に当たります。
針尾の郷土史に測量の様子がつぶさに紹介されています。

【伊能忠敬e史料館】郷土史をコピーしたものをお預かりしております。

その郷土史に記載されている一部を紹介します。

伊能忠敬が測量した針尾嶋の海岸線の測量距離の合計は16里6町42間3尺4寸。現今の針尾嶋の沿海実測数値はなく、伊能忠敬の針尾嶋測量数値は貴重な遺産でもある。

平戸藩主はこの測量を心から歓迎し、鄭重に待遇している。この処遇に応えて松浦家の為に作成した地図があり、松浦史料博物館に所蔵されている。

58 伊能忠敬が実際に歩いたと思うだけで何か興奮してくるから不思議です。2016年3月18日

 南伊豆町は、伊能忠敬が、三浦半島から伊豆半島東岸を南下し、西海岸を三島まで測り、その後房総半島を測量して、青森まで行った第2次測量の際に測量に来ている。旧暦で1801年5月17日から21日まで訪れています。
 私が住んでいる湊は …
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【伊能忠敬e史料館】 伊豆はことごとく山道で、測量器のため長持が重く、人足も大変であった。そんな中これより先も険しいというのが、そのレクチャーの話であったので、長持の中から大方位盤を深川に届けてくれるよう宿主にことづけた。
 ところがなかなか届かなかったので深川に戻ってから大騒動になった、ということが測量日記に記録されております。
 ご先祖様のお話が伊能測量に貴重なノウハウを与えたようです。本件は36番の方から続伸です。

13 木次町(現・島根県雲南市)に宿泊した際に宿舎した、土屋半十郎の子孫2016年3月12日

 第8次測量の文化10年11月24日(1814年12月16日)に、木次町(現・島根県雲南市)に宿泊した際に宿舎を提供した、土屋半十郎は私の祖先です。
 土屋家は明治時代に落魄したため、資料らしい資料は残っておりませんが、ご縁も感じ …
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【伊能忠敬e史料館】「七ッ時頃木次町字八日市着。止宿土屋半十郎
(家作よし。一軒済)」

 測量日記ではこのように認められておりました。
一軒で測量隊全員を泊められた、ということですから屋敷も家作も大きかったようです。

ストリートビューで見ると、家の中から大きな松が生えているのがわかりました。それが土屋家の庭に生えていた松で、屋敷の唯一の名残だそうです。凄い枝ぶりの松で感動しました。

55 第7次 第16巻 文化7年6月17日 通山村の現在地2016年3月8日

 通山は曽於市になります。
【伊能忠敬e史料館】 DBへの登録ミスでした。ご指摘ありがとうございます。この日以外も現市の間違いがあり修正しました。

54 第9次測量 伊東市和田、宿舎先角右衛門の子孫2016年3月4日

「地元の方が書籍(伊能測量隊伊豆をゆく;創栄出版㈱発行;著者:佐藤陸郎)の98頁に書いてくれました。」と電話がありました。
【伊能忠敬e史料館】書籍(伊能測量隊伊豆をゆく)を取り寄せて、確認いたしました。

50 第5次測量 文化3年10月4日~5日前後 浦方庄屋に関する文書2016年3月2日

「御測量云々、常神浦の方へ測量に行くぞ…という連絡等の文書が数十点出てきたので、お役に立つなら、使ってください」との情報提供が福井県三方郡美浜町にお住まいの方からありました。 …
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【伊能忠敬e史料館】 当ウエブサイト伊能忠敬e史料館館長が早速、美浜町へ訪問し史料(写真)をお預かりしてきました。

49 富山県高岡市に文書が2016年3月2日

 皆月という家があり、その祖先の残した古文書に伊能先生や、その弟子の方のお名前の入った資料「測量用器の巻 」が有ります。
 測量関係の古文書で、その他にも地図の写しと思われる物もあり、自分ではなかなか解読出来ない為に調べて頂ければ …
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【伊能忠敬e史料館】測量関係の古文書をお預かりしました。

48 文化9年2月4日山家宿 別宿 山田茂右衛門の子孫2016年3月1日

 現福岡県筑紫野市。測量器具が現存している、との連絡がありました。
【伊能忠敬e史料館】第八次(九州第二次)測量の際、文化9年2月4日 山家宿 昼休の山田勘右衛門の子孫、なお別宿の山田茂右衛門は分家とのことでした。


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