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伊能測量が測った星々(おとめ座)

春から初夏にかけての星座

 享和元年四月二日(西暦1801年5月14日)、いよいよ本格的な測量を目指した本州東海岸の測量(第二次測量)に当たり、伊能測量隊の6人(伊能忠敬、平山郡蔵、同宗平、伊能秀蔵、尾形慶助、嘉助)の一行は、長持一棹とその人足6人、駕籠壱挺とその人足弐人、馬一疋の体制で雨の中、川崎に向かって出発した。大森から手分けして郡蔵、秀蔵、慶助の3人は大森から羽田にかけて測り、忠敬、宗平、嘉助の3人は川崎宿に直行。生憎と大名の一行と重なったため宿が取れず六郷川岸の茶屋を宿とせざるを得なかった。

 四月三日は雨。今回から雨で測量に難儀する場合は逗留することが許され、大名も出立したので本陣に宿を代えた。午後、雨も上がったので測量の筆下ろしとして六郷川の川幅を正弦定理の手法で測り、夜は曇天であったが20時頃晴れ間を狙って二つほど恒星の北極高度を測った。
その結果、深川隠宅天文台で同じ星を測った北極高度よりも川崎宿で測った北極高度の方が、五帝座では8分、天機では7分45秒低かった。そこで、ここ川崎の緯度は基準緯度よりも8分ほど低い35度32分と断定した。

 四月四日(西暦1801年5月16日)、手分けして郡蔵、宗平、秀蔵は大師河原へ、忠敬、慶助、嘉助は東海道を測った。途中、名主や年寄の案内を受けながら八ツ半後に保土ヶ谷宿に着いた。一方、大師河原に向かった手分組の場合の場合、市場村まで4里あまり誰も案内がつかなかったため難儀し夜も更けた4ツ頃になってようやく宿に着いた。先触れもきちんとしたのに不届きで後々遺恨が残った。そういう次第で、天測は出来なかった。

 四月五日(西暦1801年5月17日)、5ツ半頃から晴天となり、今日はきちんと案内もつき間縄による距離の測量も地元の協力者が手伝ってくれたので本郷村に八ツ半(午後3時)頃に着いた。そこで、夜の天測に備えて子午線儀や象限儀を馬から降ろして組み立て早めの夕食を撮った。夕方から雲が出たが20時頃から22時ごろ迄雲間を狙っておおくま座やおとめ座に属す5個ほどの恒星の北極高度を測った。
その結果、深川隠宅天文台で同じ星を測った北極高度よりも川崎宿で測った北極高度の方が、平均16分14秒低かった。そこで、ここ本郷村の緯度は35度24分16分秒と断定した。その後、後片付けをしたり風呂に入ったりして就寝に着いたのは深夜になった。

解説

 川幅の測量は、手前の堤防の上の2点間の距離を測り、また、各2点から対岸の1点への方角を測ることによって、川の上に縄を張って長さを測ることなしに正弦定理で計算した。

 天体観測は、南北に向けて設置した子午線儀に張った糸を恒星が横切った瞬間の恒星の高度を象限儀で測った。

出典

 伊能図:伊能図大全(河出書房新社発行)写し

 天測実測値:測地度説-地の巻(国会図書館デジタルアーカイブ)

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