伊勢・志摩から富士山
伊能測量隊は第五次測量で、伊勢・志摩地方を測量、第六次の帰途、山田町で越年し、元日には忠敬と下役一同、麻裃に威儀を正して内宮・外宮に参拝しました。
この伊勢・志摩地方は富士山方位測量の西の最遠方にあたり、中図の方位線を元に山島方位記を補足として、どの地点から測量されたのか述べます。
Googleマップに示した地点は当史料館が推測したもので参考としてください。しかし伊能測量は当時の計測器の精度を考慮すると非常に正確であることが分かって戴けるはずです。
右の写真は横山展望台から撮影されたもので、富士山まで約210kmの距離です。
志摩市にお住いの杉野友司様から提供されました。
撮影データ:2016年1月13日 6時30分 横山展望台(Googleマップ)、500mm望遠レンズ
1 伊勢大湊(62.9度)
山島方位記には右画像の通り、文化ニ年四月廿六日、大湊側ニテ測。
富士山 寅□ニ三□ と記載されています。
読み方は寅2度30分(62.5度)で、中図の寅一分(61.5~63度)。
更に山島方位記には同日、今一色村からの方位も記載されています。
富士山 子□ニ三八(子2度38分)。これは記載ミスと思われ参考になりません。
2 鳥羽日和山(60.7度)
「此の日(五月ニ日)未明、市野、日和山にて遠山を測る。日出前に富士山を測得たり。」
中図、寅初分(58.5~60度)。山島方位記は以下の記載です。
五月朔日 志別日和山市野測 寅□□□八(60.13度)
五月六日 同日和山 寅□□ニ八(60.47度)
3 石鏡村(58.5度)
「五月十二日、朝より晴天、日出前同所海岸へ出て富士山其外山嶋を測る。」
石鏡村止宿出海辺 丑ニ八ニ一(58.35度)山島方位記
4 国府村(56.2度)
「五月廿日、朝晴天、六ッ頃国府村海岸に出て富士山を測る。丑二十五分五○秒より丑二十六分」
丑ニ六三□(56.5度)山島方位記
【注意】丑→30度、二十五→25度、五○秒→50/60≒0.83 丑二十五分五○秒≒55.83度
賢島(サミットメイン会場)
●はサミットメイン会場。上のアメリカ大図のカシコ山は島の誤字か? 測量隊が賢島を測量したのは文化2年6月2日(1805.6.28)で測量日記には以下の記述があります。
六月ニ日晴天。朝六ッ半頃立神村出立。三手分測。
一手は我等、高橋、永沢、伊兵衛、利助。枯嶋、横山嶋、田徳、大明神嶋、カシコ嶋を測る。
一手は坂部、平山、小坂、波切村地内より立神村地内を測る。
一手は市野、稲生、門谷、神明村地内より迫子村入口迄測る。
七ッ後鵜方村へ前後に着。止宿(曹洞宗鳥羽常安寺末)壷福山褄鳳寺。