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社寺、団体、個人

藤岡健夫氏

渡辺 一郎  季刊 伊能忠敬研究 第11号 (1997春季号)より

藤岡健夫氏

本図は、数少ない九州地区の大図で、縦81cm x 横177cm、軸装されている。保存良好で、退色はない。補修した虫食い跡はあり、その後の虫食いも多少ある。描図範囲は人吉の外れから西米良迄で、種子島・屋久島測量終了後、坂部隊が、文化九年六月五日人吉城下泊、六日免田村、七日湯前村、八日津留谷村(西米良町)に宿泊して測量した部分を描いている。最終版大図の区分とは合わないから、九州測量直後の大図と考えるべきであろう。このルートは第二次測量でしか通っていないので、九州第二次測量の大図である。

朱の測線に沿って、村名、領主名、沿道風景を描いており、大図の様式を備えている。違いを云えば、隣接図との接合記号のコンパスローズが描かれていない。余白に雲形を描くが、これは他の大図にはない。また、図の中央に末記入のコンパスローズのための余白がある。南が上になっている。村名、領主名が朱書きである。などがあげられる。朱書きの地名は、ほかにも例があるが、試行されたようである。

針穴は鮮明であり、伊能測量隊によって作成されたことは確実とおもわれる。描図方式の若干の違いから、正式な提出図の構成ではなく、別途に制作された大図と考えられる。もっとも、九州第二次測量だけの大、中、小図が作られたかどうかは分からない。(大谷売吉氏も触れていない)なぜなら、もう中間製品をつくる必要はなかったからである。

本図の位置づけとしては、最終版の図割り以前に、これまでと同じ方式で描かれた作品のような気がする。

描図の詳細を眺めると、彩色は濃く鮮明で、近い伊能図を探せといわれれば、東京国立博物館の中図が一番近い。描図は丁寧で、沿道描写は細かく、文字は達筆である。全くの憶測であるが、九州第二次測量の大図は、最終版にとりかかるので、つくらないことになったあと、記念のため、あるいは諸侯その他への贈呈用に、特定の場所だけ数枚制作した可能性がないだろうか。そうであれば、特別版なのだから、他の大図と様式が少し違う理由はすべて説明がつく。

最終版大図の副本といえるものは、平戸の松浦史料博物館所蔵の平戸、壱岐、五島、佐世保・長崎の四軸と山口県文書館毛利又庫の七枚しか明らかでない。ほかに、写本が国立歴史民俗博物館に三枚あることが知られているのみである。本図は貴重な存在である。

ついでながら、沿海地図大図は69枚伊能忠敬記念館に揃っている。これはこれで素晴らしいものであるが、彩色、描画法などが、最終版大図と較べると違っている。

 

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