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1次測量と最終図の比較

プロローグ

奄美大島  InoPediaとして国立公文書館デジタルアーカイブの利用は2013年5月頃からになる。指宿フロア展向けの「天保国絵図 琉球国(大島)」(現鹿児島県奄美大島)を大図と同じ 1/36,000 の縮尺で観賞に耐え得る品質で印刷したことに始まる。
 その後、「伊能図大全」の編集作業のため、1次測量図の収集、画像編集作業は中断、再開したのは2014年2月からになる。
 伊能1次測量図は国立公文書館では「松前距蝦夷行程測量分図まつまええぞへいたるこうていそくりょうぶんず」と呼ばれ、10枚セットで公開されている。
 また東京国立博物館でも同じ図が所蔵されているが、名称は「蝦夷地実測図」となっており、国立公文書館に無い津軽海峡部分が所蔵されているが蝦夷部分は、国立公文書館ほど揃っていない。
 e國寶サイトで閲覧できる。こちらは画像の引用ができないため、上記の名称で参照のこと。

室蘭1次  伊能図北海道図を画いたデータの定説は、伊能忠敬が行った北海道東南海岸測量の成果に、間宮がその他部分を補足して北海道図が完成されたという輿地実測録にある「蝦夷地部分は間宮林蔵の測るところにより参補(*1)した」という記述から推測したものであろう。
 左図は3図室蘭である。2005年に伊能忠敬研究会員 井口 利夫氏が伊能研究会報41号において、この室蘭図を具体例にあげて「最終版伊能図の北海道図はすべて間宮林蔵の測量によるものだったのではないか」と論述された。定説を覆す指摘で、今回の調査と記者発表のキッカケとなった。

 *1:参補という言葉は漢和大辞典にも出てこないので、正確な意味はわからないが、明治以来の伊能忠敬研究で測量データあるいは地図面を比較したことはなさそうである。


 1次測量図の各10図を対応するアメリカ大図に重ねていて、1次測量図の縮尺は忠敬の200歩を1分に縮小したのではなく、1分1町の伊能大図標準ではないかと思えてきた。電子化の方法もあるが、本来は1次測量図を拡大しなければならないが、画像サイズは微調整で済んだからである。
 本当に1次測量図が1/43,636かどうか測定した。結果は各図で現在も特定出来る地点を計測し平均を取ったところ 1/ 44,521 となり定説通りほぼ合致していることがわかった。
 ノギスでの計測は2地点の詳細な位置が特定でず、誤差がありすぎて採用せず。

【注意】
 1/43,636の縮尺は「測量日記第三巻の末尾にある第一次測量図の凡例中に、曲尺二寸九分七厘を一里とした」による。
 1里=36町、1町=60間、1間=6尺、1尺=10寸、1寸=10分、1分=10厘
 したがって 1里=12,960,000厘   2寸9分7厘=297厘  297/12,960,000  約 1/43636.36 となる。

 星学手簡せいがくしゅかん高橋至時たかはし よしとき間重富はざま しげとみに報じている「200歩を1町とし、1町を1分に表現した」という言葉によると、忠敬の歩幅は66.1cm となる。佐久間達夫氏は雑録の記事から計算して 69cm としており、その差は 5% 以下である。このくらいの差は仕方ないだろう。
 1分 ≒ 0.303cm
 43,636 × 0.303 ÷ 200 ≒ 66.1

各図の重ねあわせ

 蝦夷東南海岸の1次と最終図の全体の比較はすでに提示した通りである。
 ここでは、1次の各図と最終図の重ねた結果を示す。1次の測量データがまったく使われていないことが明確である。

函館近辺

 当初、最終図(アメリカ大図 32号)の対応する2地点が重なるように、1次図を拡大するだけでさほど手間をかけずに重なると思っていた。
 伊能のデータで地図が作られていると思っていたから、何とか合わせようとしてかなり時間を費やした。他のメンバーも同じ作業を行っており、重ねるのが困難との連絡があった。
 この時点で、1次と最終図のデータは違うものであると推測、左図のように1次図の部分を切り離して重ねる。1次図の縮尺は同じで、各図→部分を起点として、1次図を50%程度透過させ、重ねた結果である。重ねた後は非透過に戻している。

 函館中心部であり、天測が行われている地点付近を基点として重ねた図である。
 1次測量では函館半島の南側(大鼻岬、立待岬)は測量されていない。海岸線を測量したと思われるが、重なり部分も少ない。
 では、最終図の方がより正確かというと、この函館部分ではそうとも言えない。最終図と現在との比較緑線は現在の海岸線で、図は最終図である。現在図は埋め立て部分があり注意してください。

【注意】
 全重ね図を通して、強調している青線は最終図の測線を、赤線は1次の測線を示す。

大沼・小沼、森近辺

 森町の海岸部分を基準にしたこともあるが、大沼・小沼付近のズレは大きい。大沼・小沼付近だけ重ねようとしたが、上手く重ねられなかった。
 また、落部おとしべ付近を重ねるには、分轄しており、落部から遠ざかる程、ズレが大きくなっている。

室蘭近辺

 このエリアもなかなか重ねるのが困難であった。最終図は29号、30号を接続している。
 すでに研究会報41号(2005)で井口 利夫氏が例にされた部分を含む。当時は図でしめされているがモノクロで分かり辛い面がある。特に室蘭市街の海岸は広く埋め立てられており、現在図と重ねるとインターネットでは見づらく、ここでは省略したが、1次と最終図の側線はほとんど重ならないことが分かる。

長万部近辺

 今回の9図中で、このエリアがもっとも重ならなかった。シツカリ川部分が唯一位置の特定ができたが、このような重なりになった。
 オシャマンへ(長万部)で、恒星測量を行ているため、ここもポイントと思われたが、図を見ても分かる通り、1次は枡形の測線になっている。

苫小牧近辺

 ユウフツとシラヲイの2地点を基準にし、一次を少々縮小、時計回りに回転して重ねた。
 このエリアがもっとも重なった部分である。拡大図を見ても分かるように、それでもズレがあることが分かる。
 ユウフツ(勇払)で恒星測量が行われ、最終図は石狩平野を通る横斬り線(日本海を繋ぐ測量)が画かれている。

日高三石近辺

 ミツイシ付近を基点として重ねた。
 このエリアもよく重なっている。

襟裳岬近辺

 襟裳岬付近は不測量で、大きな違いは古くから知られていた。
 念仏坂付近はニカンヘツ川を基準に重ねている。ほとんど重ならない。
 襟裳岬側はホロイツミ(最終図はホロイヅ)とサルノを基準に重ねた。(図上の矢印)

十勝川河口近辺

 最終図の23号と24号を接続し、23号部分のシャクベツ川、24号のオオツナイに合うように一次図を縮小、回転。
 シャクベツ川からオコッペまでは、ほぼ一致しているが、だんだんずれて行く。

厚岸近辺

 1次測量はセンホヲチ(最終図はホンセンホウシ)まで行われた。忠敬の到達地は、ここからオホーツク海岸のニシベツ(実はベッカイ)である。
 厚岸湾は測量はしていないが、目視だけでよく地形が画かれている。
 図中の黒線は最終図に画かれている海岸線を示す。

1次測量に関する話題

念仏坂
この図に唯一登場、通過が困難だった話
ニシベツ
最終到達地点のニシベツについて考える

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