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伊能忠敬はこの地を測量した

湯河原

伊能大図101号(部分):真鶴・湯河原・熱海

 

真鶴・湯河原・熱海と言えば、「石橋山の戦い」「土肥実平」「頼朝の脱出」などの史跡の地:

このような史跡を持つこの地を、伊能測量隊は二回も測量した。

1回目:第二次測量と言われる本州東海岸測量において、享和元年4月25日、 根府川関所においての悶着を体験した後、沿海測量して七ツ前に吉浜村(現 神奈川県足柄下郡湯河原町)の名主彦右衛門宅に草鞋を脱ぎ、夜は天測をした。翌26日も沿海を熱海迄測った。
2回目:第九次(伊豆七島など)測量において、文化十二年12月18日、 伊豆山から門川村に至り、そこの与次右衛門無く出昼休みした後、吉浜村の名主彦右衛門宅に再び草鞋を脱いだ。翌19日は土肥実平の墳墓のある城願寺を参拝した後、湯ケ原まで測った。

 

伊能忠敬没後二百年の追悼会の開催:

 

湯河原町史編纂委員・土肥實平顕彰「土肥会」理事・声を出して古典を読む会 代表・湯河原産「白丁場石」研究会代表・豆相人車鉄道実物保存会代表という肩書を持つ加藤雅喜さんが音頭をとって、此の度「伊能忠敬没後二百年の追悼会」を開催した。

加藤雅喜さんはこの湯河原に転居して5年余り、この地の歴史を調べていたところ、伊能忠敬やその測量隊が、湯河原・真鶴で、宿泊・昼休憩、城願寺参拝をしたことを知ったが、そのことが町史にも記載されていないことに気付き、何とか伊能忠敬の偉業や伊能測量隊の足跡を町民、小・中学生に知ってもらいたいと思って、予め自費で木柱を建てた。そして、伊能忠敬二百年目の命日である平成30年4月13日(金)に、伊能忠敬らが宿泊した湯河原町吉浜の向笠進氏宅前で、二百年忌追悼と伊能忠敬測量隊を知る会を開催しました。午前11時から湯河原町吉浜951の向笠進氏宅前で、伊能忠敬や測量隊の努力に黙祷したあと、伊能忠敬測量隊を三度も宿泊させた吉浜村名主の向笠彦右衛門の子孫である向笠進さんの挨拶があった。紹介に続き、加藤さんから伊能忠敬と測量隊の説明が行われた。内容は①伊能忠敬という人物の魅力、②歩き測量した湯河原・真鶴のコース、③『測量日記』(訳文)、④「星の観測」、「横切」など科学的な測量方法、⑤測量隊が感動して参拝した土肥実平との共通性(第二の人生に活躍)などについて、配付資料による40分間程の説明が行われた。
 今年は、伊能忠敬没後二百年目にあたるので、地元の千葉県香取市佐原を始め全国で色々な催しが予定されているが、その最初の会合であろうと思われ、歴史好き、地図好きな方々や第二の人生をどう生きるか考えている方、観光ボランティアのみなさんに足を運んでいただいた。記念写真も撮影したあとは、向笠さんのご厚意で昼食の振る舞いもあり、座敷にお邪魔した参加者は、自分の伊能忠敬観や第二の人生の送り方など、ざっくばらんな意見交換をもって有意義な時間を過ごせたとのことでした。


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